## 気づき
技術のトレンドは移り変わっても、古典が扱う「人間は間違える」「ソフトウェアは見えない」「要求は変わる」という3つの不変の真実は変わらない。だから古典は陳腐化しない。「楽しめてない」の正体は、たぶん量が足りないだけ。裏技を探す時間で古典を1ページ読むほうが複利で効く。
一流も最初から一流だったわけじゃない。牛尾剛も元は「三流で甘んじていた」人だったという事実がひとつの救いになった。和田卓人の「毎日コードを書く」「年下から学べる限り一生プログラマーでいられる」「アウトプットしていく人には情報が集まる」という言葉も刺さった。
AIとの向き合い方でも痛いところを突かれた。抽象的な理解のために「見て、読んで、理解する」に重きを置きすぎていた自分に、「コード読めるくらい誰でもできる」という指摘がはっとさせた。これからは「考えた上での補助」「自分のレベルに合ったドキュメントの解説」としてAIを使う。
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> 近道はない。でも、闇雲に長時間やることが答えでもない。Be Lazy(牛尾剛)=「より少ない時間で価値を最大化する」。裁量×没頭×強制終了で楽しむ一流は、長時間働いていない。抽象⇄具体の反復で、地図を持ったまま個別の技を身につける。それが唯一の近道らしい近道だった。
## 関連
- [[仕事の基準]]
- [[量で出すのは最終手段]] — 「量が足りないだけ」の裏付け
- [[学び方]]
- [[作業か返信かで区切らない]] — 二択にしない姿勢が近道