<!-- pages: part1 47-48 --> # 13章 自分にとっての「自己像」 ## 中心主張 慢性の自己欺瞞の実体は「自己像」である。自分を裏切ると自己正当化が必要になり、その正当化のために人は特定の自己像(勤勉・重要・器が大きい・よき父親、あるいは逆に無能・経験不足)を持ち歩き、それを他人にも信じさせようとする。「こうありたい」と望むことと「こうだと見られたい」と望むことはまるで違い、後者は現実より見かけに重きを置かせ、結果としてその長所そのものを失わせる。 ## 論の展開 - ランチ明け。アナは四時間離れていた間に届いたメールの量に息を弾ませている。テオが「ちゃんと遅れは取り戻した、ということだね?」と笑い、ホワイトボードに向かう。 - 午前中の復習 ── トム「わたしたちは、他の人びとを "人間" としてみるか、"物" としてみるかのどちらかである」。テオ「物というのは、どういう意味で?」 トム「自分が使う道具として、あるいはまったくどうでもよいものとして」。テオが「道具、障害物、無関係」とボードに書く。 - 因果の再確認 ── 「わたしたちはなぜ、他の人びとを "物" として見てしまうことがあるんだろう」「自分を裏切った場合に、自分にとって何が一番重要になるんだろう。何が必要になるのかな」→「自分を正当化すること」。 - 「自分を裏切ると、それまでは不要だった何が必要になるんだったかな?」「なぜなら、彼らのために何かをなすべきだという自分自身の感覚を裏切るからです」。 - テオの整理 ── 「このような自己正当化の欲求は、ひどく強烈に感じられる場合があって、わたしたちはその自己正当化を手に入れるために、自分や他の人を誤った歪んだ目で見ることになる。具体的には、自分自身を他の人びとより上等だとか、下等だと見る」。それが慢性の自己欺瞞になる。 - 自己像の導入 ── 「わたしたちは、自分が他の人より上等だとか下等だと意識して、それを自分に言い聞かせながら歩き回っているわけではない。まあ、確かにそんなふうにあからさまな場合もあるだろうが、たいていは、もっとわかりにくい。自分が他の人びとより上等だとか下等だと思っていると、それが自分を正当化するためのこちらの具体的な振る舞いや属性を通して浮かび上がってくる」。 - テオが午前中の一枚目の図(図4)を指さす ── 「勤勉で、重要で、器の大きな人物。そして、よき父親」。 - 核心 ── 「これらは、自己欺瞞に陥ったわたしが思っているだけでなく、他の人にも信じさせようとする自己像なんだ。そしてわたしは、そういう自分を演じ始める。なぜならそれによって自身を正当化できるから。こういう誤った自己像を確実なものにするには他の人びとの承認が必要で、彼らが承認してくれないと、こちらは不機嫌になる」。 - 過去事例への適用 ── ①サンフランシスコに出張したとき、自分がどれほどプロジェクトを毀損しているのかを理解できずにいたのも、一つには「勤勉で献身的である」という自己像を守らなければならなかったから。②ウィーンの医師たちがゼンメルワイスの発見を受け入れようとしなかったのも、一つには、これらの発見によって自身が抱く「完璧な治癒者」という自己像が脅かされるから。 - アナの疑問 ── 「でもそういったことはどれひとつとして、悪いことではありませんよね?」。テオ「もちろんだ。でも、『こうありたい』と望むことと、『こうだと見られたい』と望むこととは、まるで違う」。 - 帰結 ── 現実より見かけのほうに重きを置くようになる。何が何でも自分にそれらの長所があるように見せようと頑張ることによって、逆にそれらの長所とは無縁になっていく。あの医師たちが、自分たちの患者を守り自分たちをより有能な治癒者にするはずの発見を退けたのは、自分たちが無知であること、間違っていることを認めたくなかったから。 - テオの自己適用 ── 「わたし自身はサンフランシスコで『献身的な殉教者』というイメージを投影しようとしたために、あの会社が実際に必要としていた協働やコミットメントを妨げてしまった」。もう一つの例 ── 「自分を物知りに見せようとして、もっと学ぶことがあるかもしれないのに質問をしない」。 - アナの重要な問い ── 「でも、今挙げられた例はすべて、優れている点ですよね。本人が、自分に劣っている点があると信じ込んでいる場合は、どうなるんですか?」。 - テオの下等側の説明 ── 「子どもに関しては妻のほうが自分より経験を積んでいる。わたしが抱き上げると、息子はいっそうひどく泣き出すことが多く、妻が抱き取るまでは泣き止まない。父親としては無能だと感じて、恥ずかしく思うことがある。こういった口実を使えば、自分がためらっているのを正当化できる」。 - 下等側の帰結 ── トム「自信を持って何かを試そうとはしなくなるかもしれませんね。あるいは、簡単に諦めるとか」。テオ「その通り。そしてわたしは貴重な時間とエネルギーを費やして、わたしが自分で取り繕っているほど有能ではないということを誰にも気づかれまいと頑張る。そうなると、人生自体が一種のパフォーマンスになりかねない」。「他の人から無能だと見られたくない、と思うでしょう。隠そうとするかもしれません」「ちょうど、ペテン師みたいに」。 - その瞬間、部屋の空気が一気に重くなったようだった。アナはしばらく黙り込んでいたが、ゆっくりと自分の描いている自己像が正しかったらどうしようと心配になる。 - テオの締めと課題出し ── 「ということで、今日はここまでにしておこう。君たちに、今日これまでに論じてきた考え方を実践する時間をあげたいのでね」。二人とも、過去に自分ともめた誰か ── 軋轢があった人間関係 ── が頭をよぎったはずだと指摘する。 - 課題の内容 ── ①自分がその人物を的確に見られていないということがなかったかどうか ②自分がその人より上等だとか下等だと感じていなかったか ③彼らのことを、通り道にある障害物だとか、目的のための手段だと考えていないかどうか ④今思い浮かべている人物を、自分と同じリアルな人間として捉える ── 望みや欲や現実に課題を抱えている人間として ⑤その際に、自分がなすべきだというふうに感じることに注意を払う ⑥そのうえで、自分がなすべきと感じたことを、なす。 - トム「今日、ですか?」 テオは笑顔のままでいった。「今日だよ!」 ## 実践指針 - 自分の長所を守りたくなる場面では、「こうありたい」と望んでいるのか「こうだと見られたい」と望んでいるのかを区別せよ。後者なら、その長所そのものを失いつつある。 - 誰かの承認が得られなくて不機嫌になる場面では、それを自分が偽の自己像を持ち歩いている証拠として扱え。 - 自分の献身や勤勉さを疑われた場面では、その反発が「自己像の防衛」でないか点検せよ。 - 不都合な事実や指摘に出会った場面では、それが自分のどの自己像を脅かしているかを特定せよ(医師たちにとっては「完璧な治癒者」だった)。 - 物知りに見せたい場面では、質問をやめるな。見え方を守るために学習機会を捨てている。 - 自分は苦手だ・経験不足だと感じて手を引く場面では、それが「ためらいの正当化」として機能していないか疑え。 - 自分が取り繕っているほど有能でないと気づかれまいと頑張っている場面では、そこに貴重な時間とエネルギーを費やしていると自覚せよ。人生がパフォーマンスになる。 - 学んだ理論を実践に移す場面では、過去に軋轢のあった特定の人物を一人選び、その人に対する自分の見方を点検せよ。 - 誰かを的確に見直す場面では、その人を「望みや欲や現実の課題を抱えた、自分と同じリアルな人間」として捉え直せ。 - 「自分がなすべきだ」と感じたことがある場面では、それを今日なせ。先送りは裏切りである。 ## 根拠となる研究・事例 - **午前中の復習("物" の三分類)**: トム「わたしたちは、他の人びとを "人間" としてみるか、"物" としてみるかのどちらかである」「自分が使う道具として、あるいはまったくどうでもよいものとして」。テオが「道具、障害物、無関係」とボードに書く。→ 示唆: 6章の三分類が、13章でも中核の語彙として維持されている。 - **図4の再利用**: テオが午前中に書いた一枚目の自分への裏切りの図を指さし、「勤勉で、重要で、器の大きな人物。そして、よき父親」と読み上げる。→ 結果: 8章では「歪んだ自己認識」として提示されたリストが、13章では「他人にも信じさせようとする自己像」として再定義される。→ 示唆: 同じ図が二段階の意味づけを受けることで、理論が深まる構造になっている。 - **自己像と承認の依存関係**: 「こういう誤った自己像を確実なものにするには他の人びとの承認が必要で、彼らが承認してくれないと、こちらは不機嫌になる」→ 示唆: 不機嫌さという日常的な感情が、偽の自己像の検出信号として使える。 - **サンフランシスコの再解釈**: 「サンフランシスコに出張したときに、自分がどれほどプロジェクトを毀損しているのかを理解できずにいたのも、一つには、勤勉で献身的であるという自己像を守らなければならなかったからなんだ」「わたし自身はサンフランシスコで『献身的な殉教者』というイメージを投影しようとしたために、あの会社が実際に必要としていた協働やコミットメントを妨げてしまった」→ 示唆: 2章の物語が、13章で三度目の再解釈を受ける(2章=事実、6章=箱、13章=自己像)。 - **ゼンメルワイス事例の再解釈**: 「ウィーンの医師たちがゼンメルワイスの発見を受け入れようとしなかったのも、一つには、これらの発見によって自身が抱く完璧な治癒者という自己像が脅かされるからだった」「あの医師たちが、自分たちの患者を守り、自分たちをより有能な治癒者にするはずの発見を退けたのは、自分たちが無知であること、間違っていることを認めたくなかったからだ」→ 示唆: 5章の歴史事例が、自己像の理論で説明され直す。 - **アナの問い(優れている点ばかりではないか)**: 「でも、今挙げられた例はすべて、優れている点ですよね。本人が、自分に劣っている点があると信じ込んでいる場合は、どうなるんですか?」→ 結果: テオは重要な問いかけだと認め、下等側の自己像の説明に移る。→ 示唆: アナ自身が「より下等」側の当事者であることを、この問いが示唆している(12章のテオとケイトの見立てと呼応)。 - **テオの下等側の自己像**: 「子どもに関しては妻のほうが自分より経験を積んでいる。わたしが抱き上げると、息子はいっそうひどく泣き出すことが多く、妻が抱き取るまでは泣き止まない。父親としては無能だと感じて、恥ずかしく思うことがある。こういった口実を使えば、自分がためらっているのを正当化できる」→ 結果: トム「自信を持って何かを試そうとはしなくなるかもしれませんね。あるいは、簡単に諦めるとか」。→ 示唆: 下等の自己像も、上等の自己像とまったく同じく「行動しないことの正当化」として機能する。 - **「人生自体が一種のパフォーマンス」**: 「わたしは貴重な時間とエネルギーを費やして、わたしが自分で取り繕っているほど有能ではないということを誰にも気づかれまいと頑張る。そうなると、人生自体が一種のパフォーマンスになりかねない」「ちょうど、ペテン師みたいに」→ 結果: その瞬間、部屋の空気が一気に重くなったようだった。アナはしばらく黙り込んでいた。→ 示唆: 「ペテン師」という語は8章でテオが妻に貼ったラベルだったが、ここで自分自身に返ってくる。17章「人生をパフォーマンスと感じるとき」への接続点。 - **テオの実践課題(六つのステップ)**: ①その人物を的確に見られていないということがなかったか ②その人より上等だとか下等だと感じていなかったか ③彼らを障害物や目的のための手段だと考えていないか ④その人物を、望みや欲や現実の課題を抱えた、自分と同じリアルな人間として捉える ⑤自分がなすべきだと感じることに注意を払う ⑥自分がなすべきと感じたことを、なす。→ 結果: トム「今日、ですか?」 テオは笑顔のままでいった。「今日だよ!」→ 示唆: 第1部・第2部前半の理論が、この六段階の点検手順に凝縮されている。14章・15章はこの課題の実行結果として読める。 ## キーワード - **自己像**: 自分を正当化するために持ち歩き、他人にも信じさせようとする自分についてのイメージ。慢性の自己欺瞞の実体。 - **「こうありたい」と「こうだと見られたい」**: まるで違う二つの望み。後者は現実より見かけに重きを置かせ、結果としてその長所を失わせる。 - **承認**: 誤った自己像を確実なものにするために必要とされるもの。得られないと不機嫌になる。 - **人生がパフォーマンスになる**: 取り繕っているほど有能でないと気づかれまいと時間とエネルギーを費やし続ける状態。 - **ペテン師**: 8章で妻に貼られたラベルが、13章で自分自身に返ってくる語。 - **道具・障害物・無関係**: "物" として他者を見るときの三つの形。