<!-- pages: part1 22-23 --> # 5章 自分の非を認めることは難しい ## 中心主張 イグナス・ゼンメルワイスの逸話を通じて、「自分こそが問題の一部である」ことを認めるのがいかに難しいかが示される。ウィーンの医師たちは、辛い真実を受け入れて多くの命を救うのではなく、自分たちには責任がないという嘘にしがみついた。物事を明確に見ていないと、自分たちが助けるはずの人びとを傷つけることになる ── これは医療に限らず、あらゆる人間のやりとり、とりわけリーダーの振る舞い方についても同じである。 ## 論の展開 - テオが、1800年代半ばにウィーン総合病院で産科医をしていたイグナス・ゼンメルワイス(イグナーツ・センメルヴェイスとも)の名を出す。彼の勤務していた産科病棟の死亡率はとほうもなく高く、出産時に妊婦の十人に一人が産褥熱で命を落としていた。 - 当時の医学は対症療法しかなかった ── 炎症があれば血が多すぎるとして瀉血したりヒルに血を吸わせたりする。発熱している場合も同じ。呼吸器の疾患は空気が悪いせいだといって換気に努める。 - ゼンメルワイスは二つの病棟の死亡率の違いに気づく。片方では医師たちが患者を診ているのに対し、もう片方では助産師が付き添っていた。ゼンメルワイスは妊婦の出産時の姿勢、病室の換気状態、さらには食事まで同じにしたが、死亡率に明確な変化は表れなかった。 - 転機は、ゼンメルワイスが四ヶ月間別の病院に出張したこと。戻ったとき、自分が不在の間に病棟の死亡率が著しく下がっていたことに気がついた。 - 見出し「見ることを拒むと悲劇が起きる」── 同僚のひとりがメスで手に切り傷を作り、産褥熱とまったく同じ症状で命を落とすまでは、ゼンメルワイスも医師たちが死体を用いた研究を行っているという事実に思い至らなかった。 - ウィーン総合病院は教育研究病院だった。ゼンメルワイスが自分自身の日常業務と代理で入った医師の日常業務を比べたとき、唯一差があったのが死体を用いた研究に費やす時間の長さだった。助産師たちは死体を扱わない。 - 結論: 医師たち自身の手についた死体の『粒子』のせいで健康な患者たちが産褥熱に罹る。ゼンメルワイスは病院の職員たちに、患者を診る前には必ず塩素溶液で徹底的に手を洗うよう命じた。するとすぐに死亡率は百人に一人まで激減した。 - ゼンメルワイス自身の記述 ── 「これがいかに重大な認識なのか、想像してみてほしい」。医師たちは自分たちの知る限りの最善を尽くしていた。けれども妊婦たちの苦痛に満ちた死も、遺族の人びとも、恐ろしく人を衰弱させる産褥熱の症状も、医師たちが手を洗っていさえすればすべて防げた。 - 最も重いのはその後 ── 医学界の上層部が概してゼンメルワイスの発見を認めようとせず、その勧告を受け入れようとしなかった。トムが「連中は、いったい何を考えていたんです?」と叫ぶと、テオは「辛い真実を受け入れて多くの人びとが死ぬのを、よくもまあ放っておけたもんだ」と応じる。 - テオの結論: この物語は明確な警告でもある。わたしたちが物事を明確に見ていないと、自分たちが助けるはずの人びとを傷つけることになりかねない。これは医療に限ったことではなく、あらゆる人間のやりとりについていえる。そしてもっとも重要なのが、リーダーとして振る舞うそのやり方についても同じことがいえるということ。 ## 実践指針 - 原因不明の問題が続く場面では、環境変数(姿勢・換気・食事にあたるもの)を総当たりで揃える前に、「自分自身が持ち込んでいるもの」を変数に加えよ。 - 自分が不在のときに指標が改善した場面では、それを偶然として処理せず、自分が原因である可能性の証拠として扱え。 - 自分の日常業務と他人の日常業務を比べる場面では、「唯一の差」を探せ。ゼンメルワイスが原因に到達したのはこの比較による。 - 自分の職業的良心を根拠に「自分に責任はない」と考えたくなる場面では、「知る限りの最善を尽くしていた」ことは結果への責任を免除しないと知れ。 - 不都合な発見が自分の職業的自己像を脅かす場面では、それを退けたくなる衝動そのものが警戒対象だと自覚せよ(この機序は13章「自己像」で理論化される)。 - 人を助ける立場にある場面では、明確に見ていない限り、助けるはずの相手を傷つけうると前提せよ。 - リーダーとして振る舞う場面では、医療現場と同じ厳しさで自分の認識を疑え。 ## 根拠となる研究・事例 - **イグナス・ゼンメルワイス(イグナーツ・センメルヴェイス)**: 1800年代半ば、ウィーン総合病院の産科医。勤務先の産科病棟の死亡率は極めて高く、出産時に妊婦の十人に一人が命を落としていた。病死は産褥熱と呼ばれ、女性たちの死は病院で子どもを産んでから数日のうちに起きた。→ 示唆: 実在の人物・組織・数字を伴う事例として、自己欺瞞の理論に歴史的重量が与えられている。 - **当時の対症療法**: 炎症があれば血が多すぎるとして瀉血したりヒルに血を吸わせたりする。発熱している場合も同じ。呼吸器の疾患は空気が悪いせいだといって換気に努める。→ 結果: まったく効果はなかった。→ 示唆: 原因を理解しないまま症状に対処する営みは、いくら熱心でも結果を変えない。 - **二つの病棟の死亡率比較**: 片方の病棟の死亡率は五十人に一人。二つの病棟の唯一の違いは、片方では医師たちが患者を診ているのに対して、もう片方では助産師が患者に付き添っていたということだけ。ゼンメルワイスは妊婦の出産時の姿勢や病室の換気状態、さらには食事まで同じにした。→ 結果: 何をやっても死亡率には明確な変化が表れなかった。→ 示唆: 正しい変数に触れていない限り、統制実験を重ねても答えは出ない。 - **四ヶ月間の出張**: ゼンメルワイスは四ヶ月間、別の病院に出張することになった。→ 結果: 戻ったとき、自分が不在の間に病棟の死亡率が著しく下がっていたことに気がついた。→ 示唆: 自分が原因である可能性は、自分が消えたときにしか見えない。 - **同僚の死**: 同僚のひとりがメスで手に切り傷を作って、産褥熱とまったく同じ症状で命を落とす。→ 結果: ここで初めて、医師たちが死体を用いた研究を行っているという事実が視野に入る。→ 示唆: 決定的な手がかりは、目の前にありながら見られていなかった。 - **教育研究病院という設定**: ウィーン総合病院は教育研究病院だった。医師たちはたいてい、病気の原因をきちんと理解することもなく患者の症状に対処していた。ゼンメルワイスが自分自身の日常業務と代理で入った医師の日常業務を比べてみると、唯一差があったのが死体を用いた研究に費やす時間の長さだった。助産師たちは死体を扱わない。→ 結果: 医師たち自身の手についた死体の『粒子』のせいで健康な患者たちが産褥熱に罹る、という結論に到達。→ 示唆: 原因は「外」ではなく「自分の手」にあった。 - **塩素溶液による手洗いの導入**: 患者を診る前には必ず塩素溶液で徹底的に手を洗うよう命じた。→ 結果: すぐに死亡率は百人に一人まで激減した(十人に一人 → 百人に一人)。→ 示唆: 正しく見えさえすれば、対処そのものは驚くほど単純である。 - **ゼンメルワイスの記述**: 「これがいかに重大な認識なのか、想像してみてほしい。医師たちは、自分たちの知る限りの最善を尽くしていた。けれども妊婦たちの苦痛に満ちた死も、遺族の人びとも、恐ろしく人を衰弱させる産褥熱の症状も、医師たちが手を洗っていさえすれば、すべて防げた」「神のみぞ知る……」→ 示唆: 善意の総量は結果を担保しない。 - **医学界上層部の拒絶**: 医学界の上層部が概してゼンメルワイスの発見を認めようとせず、その勧告を受け入れようとしなかった。トム「連中は、いったい何を考えていたんです?」テオ「辛い真実を受け入れて多くの命を救うのではなく、自分たちには責任がないという嘘にしがみついたんだ」→ 結果: アナは「医者というのは、人を治す人であるはずだ」とつぶやき、テオは「だからこそ、ゼンメルワイスの物語はここまで悲痛で悲惨なんだ。他の人びとを治癒するために学び、自分を犠牲にして働いてきた人びとが、まさにその人たちが病気を広めていたなんて」と応じる。→ 示唆: 献身的であることが、むしろ非を認めることを難しくする。 - **テオの結論**: 「それにこの物語は、明確な警告でもある。わたしたちが物事を明確に見ていないと、自分たちが助けるはずの人びとを傷つけることになりかねない。これは、医療に限ったことではなく、あらゆる人間のやりとりについていえることだ。そしてもっとも重要なのが、君たちがリーダーとして振る舞うそのやり方についても、同じことがいえるということなんだ」 ## キーワード - **ゼンメルワイス(センメルヴェイス)**: 手洗いによる産褥熱の予防を発見しながら、医学界に受け入れられなかった医師。本書における「見ることの拒絶」の原型。 - **産褥熱**: 出産直後の女性を襲う致死的な症状。当時は多様な症状の集合として扱われ、単一の原因が見過ごされていた(6章で自己欺瞞との対応関係が明示される)。 - **死体の『粒子』**: ゼンメルワイスが特定した原因。細菌の概念が確立する以前の表現。 - **対症療法**: 原因を理解せずに症状にだけ対処すること。本書では自己欺瞞への表面的対処の比喩として反復される。