# 第19発 意見や助言——人の話は、聞いて、聞くな。 > 第6章「自己管理の技術」の冒頭。 **中心主張**: いい文章を書きたい人間は、どんな下劣な人間からでも学べる。だから編集者や読者の注文は**いったんすべて聞く**。しかし注文どおりに直すのではなく、**注文の上を行く**——相手の指摘した箇所を、相手が期待した以上のかたちで書き換える。それが「聞いて、聞くな」であり、ライター・編集者・読者の三方よしを実現する唯一の道だ。文章とは他者の影響を受け、憑依され、感染されながら常に変容していく「未完成で終わる永遠運動」である。 **実践指針**: - 意見や助言に接する場面では、**耳はいつでも開けておく**。耳だけは扉も囲いもない器官だ。「時間のむだ」かどうかは聞いてみないと分からないし、カネはかからない。 - 相手が愚劣に見えても聞く。**自分も愚劣かもしれないが、大した者じゃない**。「一番下の意識をもて」。 - 自分の文章については「世界で一番文章が下手」と思っていろ。ほめられても、悔しかったら夏目漱石や中島敦や大西巨人みたいな文章を書いてみろ、と自分に言う。そう思わなければ上達しない。 - 修正依頼を受けた場面では、**いったんは聞く。聞いて、聞かない。それ以上のものを出す**。 - 編集者の指摘が「この辺がわかりづらい」「抽象的」と抽象的なときこそチャンス。そうではなく「もっと具体的に」などと**それこそ「抽象的」に注文してくる**なら、その注文の、その、上をいかなければならない。 - 注文の趣旨をくみ取り、**マイルドにする方向ではなく、よりワイルドにする**方向で直す。喝采は、そういうときに来る。 - 編集者のミット(要求球種)はよく見て投げる。ミットを無視するのはだめ。ただし**ミット目がけて平凡なストレートを投げてはいけない**——外に開き、内に沈む。ストレートを要求されているなら、変化球を投げるべきではないが、球の切れがあれば球審は思わず「ストライク!」と判定してしまう。 - ストライクゾーンは固定ではない。**球の切れ次第で、ストライクゾーンを広げさせる**。球の切れとは、取材であり、企画であり、文章であり、ナラティブのことだ。 - 常に外に開き、内に沈む。**注文は、いくらでも受けたらいい。そして、自分を変える。新しい表現を探す。注文通りには変えない。注文の上を行く**。 **根拠となる事例・考え方**: - ラブレー『ガルガンチュワとパンタグリュエル物語』——「自然は、眼や舌や、その他の肉体の色々な孔口には扉や囲いをつけたのに対して、耳を作るに当っては、これを開き放しにしたことは、もっとも至極だと思うぞ」。目は閉じられ、鼻・唇・肉体の孔には扉や囲いがある。耳だけにはない。 - ラカン『精神分析の四基本概念』——「耳は無意識の領野の中で閉ざすことのできない唯一の孔」。 - 著者が新聞社二年目のとき、気の合わない上司(記事の書き方や仕事の本筋には触れず、上にへつらい下に厳しい小物デスク)に、一回だけ原稿のことで注意を受けた。その一回だけはよく覚えている。 - 立川談志『談志楽屋噺』(色川武大との対談)——「一番下の意識をもて」。映画が下だと思われていた時代、映画はコンプレックスを持ちながらみんなに取られた。劇画も同様。**一番下だと思っていれば、次の時代にのり代わってくる**。 - 中井正一「一握の大理石の砂」——ミケランゼロが彫像を彫り終えたとき、依頼者が「鼻が高すぎる」と難をつけた。ミケランゼロは一握の大理石の砂をひそかに握って足場を昇り、鼻をけずるかのようなしぐさで槌を動かし、少しずつ砂を掌から落としていった。依頼者は「ああ、具合よくなった」と得々として帰っていった。→ **一握の大理石の砂をひそかに握って、文章に向かい、文章を直す**。 - 中井正一の含意: 編集者の言うことは聞け。骨はもっていなければならない。ミケランジェロやモーツァルトら大天才にとっても、最初の読者の"難癖"は、すべて、いったん、聞くのである。われら凡夫はましてや。 - 著者自身の全国紙連載「アロハで猟師してみました」——鹿の解体作業の描写に編集者から「解体場面にショックを受ける読者もいるだろうから、なにか注意喚起の断り書きを入れたらどうか」という依頼。安全策だと思ったが、聞いた。そして傍点部分〈「そっちサイドはちょっと……」〉を書き足した。《ひととき》(読者投稿欄の名称)に向かって「嫌なら読むな、あっち行け、シッシ」と言っている——**マイルドどころか、直す前よりよほどワイルドになった**。それでも編集者は文句を言えず、読者からの苦情はこなかった。喝采は、来た。 - 〈わたし〉なんて、じつにつまらない、ありきたりの、くだらない生き物だ。だからこそ、いつも外に開いているのだ。**わたしに〈なる〉のだ**——文章に、ほんの一瞬のきらめきが訪れる。 **キーワード**: - **聞いて、聞くな**: 意見も注文もいったんすべて受け取り、しかし言われたとおりには直さないという構え。「聞いて、直した。そしたら、直す前よりも、よほどワイルドになってしまった」が理想形。 - **一握の大理石の砂**: 中井正一の随筆。表向きは注文に応じたふりをしつつ、作品の本質を守る技術の寓話。 - **注文の上を行く**: 修正依頼の趣旨をくみ取りつつ、依頼者の期待を超える表現に書き換えること。 - **ストライクゾーンを広げろ**: 球(取材・企画・文章・ナラティブ)の切れが良ければ、ゾーンの側が動く。基準に合わせるのではなく、基準を変えさせる。 - **直しの三方よし**: ライター、編集者、読者——三者すべてが得をする直し方。