# 第13発 文体【道具箱・二段目】——スタイルのない人間は、みじめだ。 **中心主張**: 事実だけを書くライターは早晩消える。だれが書いても同じものだけを書いている者は不要だからだ。生き残るのはスタイル(文体)を持っている者だけである。スタイルとは文体であり、流儀であり、くせであり、ルーティンであり、品格であり、つまり生きかたのことだ。そしてスタイルは、他者の影響を「誤読」しながら自分のものにしていく過程で確立される。ライターになるとは、「わたしで〈ある〉」ことから「わたしに〈なる〉」ことへ移行することだ。 **実践指針**: - 事実や事故、世の事象そのものは、だれが書いても同じだ。評価はいらない。しかし、だれが書いても同じものだけを書いているライターは、早晩、消える。参考までにそう覚悟しておけ。 - スタイルを持て。スタイルのない人間は、みじめだ。プロでさえスタイルのない人の方が圧倒的に多い。だからこそあきらめずに、気長に試みよ。 - スタイルの練習は、四つの「主」を変えることだ。 - **(1) 主語を変える**: ぼく、あたし、わたし、おれ、おいら、自分……。一人称を変えると筆が伸びる(第10発)。殻を破る。 - **(2) 主題を変える**: 同じ主題を書き続けると文章が似てくる(「手癖で弾く」)。語彙が伸びなくなり、スタイルが同じになる。思い切って主題を変え、映画ばかり観ていたなら文学に耽溺し、絵画や音楽を見にいく。遍歴の果てに自分のテーマにまた再会したのちに書く文章は、あるスタイルを獲得している。 - **(3) 主義を変える**: 自分がこれまでスルーしていたものを、一年ぐらいでいいから集中して聴き/読み/見てみる。主義でもなんでも、いったん変える。また戻ればいい。本来、変えないことに価値があるものではない。 - **(4) 主体を変える**: いまふうに言えばキャラを変えること。性格を変えるのは難しいが、こと、スタイルに関してはできる。着ぐるみみたいなもので、着脱できる。 - 基礎教養(古典)が備わっていれば、流行りものを知らなくても切り抜けられる。ヤマトもガンダムもエヴァも知らないなら、開き直り、黙っていればいい。応用問題は後回しでいい。 - 誤読を恐れるな。だれかがライターになるとは、その人ならではのスタイル=文体を確立することであり、「オリジナル」とは「いまの自分ではない」ということが死活的に重要なのだ。 - 他者の影響を恐れるな。まねる。自分の頭で考え、咀嚼し、消化し、吸収する。それが誤読でも構わない。問題は、自分の誤読が深い誤読であるか、自分にうそをついていない誠実な誤読であるか、まだだれもしたことのない誤読であるか——そうしたとき、もはや誤読は誤読でなくなり、スタイルとなる。 - スタイルは一つである必要はない。カラフルな方がいい。人生もカラフルになる。 - 主体=キャラと自分が合わなければ、ただの茶番になる。浮いているだけで、読者からも編集者からも相手にされない。しかしキャラと自分がなじんでいけば、ほんとうに好きだったならば、スタイルのひとつになる。 **根拠となる事例・考え方**: - チャールズ・ブコウスキー「充電のあいまに」の引用——「あんたは、そのハワードとかモームとかいう人が好きだったの?」「このふたりにはスタイルがあった。品格というのが。(略)だまされたって感じがするんだろうな、けっきょくのところこのふたりには、なんていうか」「でもその人たち、あんたのいうスタイルってものがあったのよね」「ああ、スタイルは大切だ。多くの人は真実を叫ぶがスタイルがないから、なんの力にもならないんだ」。元ボクサーで大酒飲みで女にだらしないブコウスキーは、そのワイルドさ・破天荒さが文にそのまま出ている。読者は「スタイル」に憧れる。作品一つひとつの出来などは、もはやどうでもよくなる。 - 『リーダーズ英和辞典』の「style」——「文体、話しぶり、表現法」。文体。流儀。くせ。ルーティン。品格。つまり、生きかた。 - 著者の出版デビュー作は音楽評論。夢だったので嬉しかったが、数年続けていると煮詰まった。「ギターで言うところの『手癖で弾く』というやつ」。 - 著者の(3)の実例。小学校のころテレビを見ないから歌謡番組も全盛の歌謡曲も一切聴かなかったし、小学五年でロックに目覚めるまで、ほとんど、端唄・小唄や映画音楽、戦前の流行歌、クラシックの小品ばかり聴いていた。のちに猛勉強し、ソウル、ラテン、ジャズ、スタンダードほか日本人の洋楽受容の精髄であり、これをパスしていたのは怠慢だったと悟った。同様に、現代の日本人作家を集中して読んだ時期があった。「世間で評判になっているベストセラー作家です。はまりはしなかったが、分かったことは、多々、ありました」。 - 写真家アラーキー=荒木経惟の言葉——「煮詰まったらカメラを変える」「彼女を変えるんだ」。使い慣れた愛機を脇に置き、安っぽい使い捨てカメラひとつで町に出てみる。 - 夏目漱石『坊っちゃん』の影響。中学校のころ読んで影響され、主人公の「坊っちゃん」が好きになった。江戸っ子で軽薄でおっちょこちょいで口が悪くて政治的に振る舞えない。不器用。淡泊。田舎くさいのが大嫌い。自分に近い、キャラクターは「坊っちゃん」でした。以来、読書感想文も修学旅行の作文も、みな、坊っちゃんになりきって書いた。その後ご多分に漏れず太宰治にやられ、ジム・トンプスンやブコウスキーにはまり、プーシキンに侵され、ハイデガーに頭を占領されると、その都度その都度キャラを入れ替えてやってきた。「田舎くさいのが大嫌い」と言っていた自分が、いまや、ど田舎山奥の百姓・猟師ですから。 - 森村泰昌『自画像のゆくえ』のゴッホ論。ゴッホの自画像の変遷を子細に検討し、「自画像の"顔"がつぎつぎ脱皮し更新されていく」と、そのひとならではの"画風"を確立することとは、そのひとつながらのことである、と書く。「だれかがライターになるということは、そのひとならではのスタイル(文体)を確立することである」。 - ゴッホの誤読の実例。オランダ生まれのゴッホは、ロンドンやベルギーを転々としたのち、当時「世界の首都」だったパリに移る。パリで初めて描かれた油絵の自画像は、それまで同様、まだモノクローム調だった。しかし暗い色調の自画像が、だんだん明るみを増してくる。スーラ風の点描も試みる。その後、陽光あふれる南仏アルルに移った。日本の浮世絵から影響も受けた。ゴッホは複製画を見て、見たこともない日本という土地を、大きく誤読していく。その誤解の中から、自分自身の画風を確立する。 - 「わたしで〈ある〉」から「わたしに〈なる〉」へ。百姓、猟師になって著者は初めて理解した——わたしたちは、米や、パンや、肉や、魚や、野菜を、食べて生きている。殺して、生きている。わたしたちの生は、他者の死だ。それが、生命という〈現象〉の本質だ。だからこそなのだ。いまのわたしで〈ある〉だけでは、不十分だ。わたしに〈なる〉のでなければ、わたしたちが殺して、命を奪っている他の生命に対して、申し訳が立たない。**なにものかに、なる。なににならなければ、なるのか、その未来は、まだ書かれていない。それは、あなたが書くものなのだからだ。スタイルを獲得する。自分に、なる。とどまらない。変わり続ける。文章を書くという営為の、「おまけ」ではない「本体」とは、これだ。** **キーワード**: - **スタイル(style)**: 文体、話しぶり、表現法。流儀、くせ、ルーティン、品格。つまり、生きかた。 - **四つの「主」を変える**: 主語・主題・主義・主体を変えるスタイル練習法。 - **手癖で弾く**: 同じ主題を書き続けて文章がパターン化すること。ギター奏法からの比喩。 - **無主義主義**: ライターの主義。いったん変え、また戻ればいい。変えないことに価値はない。 - **着脱できるキャラ**: 主体=キャラは着ぐるみのようなもので、意識的に着替えられる。 - **誤読**: 他者の影響を自分の頭で咀嚼し、消化し、吸収する過程。深く、誠実で、まだだれもしていない誤読は、もはや誤読でなくスタイルとなる。 - **「わたしで〈ある〉」から「わたしに〈なる〉」へ**: 本章の結論。とどまらず変わり続けることが、文章を書くことの「本体」である。