# 第3発 すべる文章 ── 読みやすさはきめ細やかさ。 ## 中心主張 目指すのは、グライダーのように滑空していく、読者に「読んでいること」さえ意識させない文章=「すべる文章」である。そのために摩擦係数を減らす。もっとも簡単な方法は固有名詞と数詞を捨てること、そして「など」「いろんな」「さまざま」というエクスキューズ語を撲滅すること。ただし削り切ればいいのではない。〈必要〉なだけでは文章は「十分」にならない。すべらせたレーンの上に、読み手ごとに響くシグナルを埋め込む。 ## 実践指針 - **文章を書き終えたら**、摩擦係数を測れ。ボウリングのレーンにはオイルが何重にも塗ってあり、軽く置いた球でもピンデッキに吸い込まれる。砂場ではボールは届かない。読み手に努力を強いる文章が、摩擦係数の高い文章である。 - **固有名詞と数詞が出てきたら**、まず削れ。減らすのが摩擦係数を低くする初歩でいちばん簡単な方法。人名や数字を詰め込めば、読むスピードは確実に落ちる。 - **それでも入れる場面では**、基準を一つに絞れ。**その数字がストーリーを動かす決定的な役割を果たすか、そのデータがなければ書いていることが理解できないか**。固有名詞を書くなら、厳選にも厳選を重ねよ。 - **「など」を書きそうになったら**、撲滅せよ。同じく「いろんな」「さまざま」も。これらはすべてエクスキューズ語であり、具体的に言えない・考えていない・めんどくさい、というライターの仕事の放棄である。 - **なぜ「など」を入れたくなるのかを自覚せよ**——怖いからだ。"正確"であろうとするからだ。「ほかにもあっただろ!」という読者の抗議をかわす逃げ口上にすぎない。 - **出だしを設計する場面では、映画の出だしを研究せよ**。映画はせいぜい二時間の短い表現で、出だしの数分で観客の心をわしづかみにしなければならない。だからどの監督も出だしに最大の注意を払う。 - **表現者として生きる場面では**、小説やノンフィクションだけでなく映画・音楽・演劇・絵画、すべての「表現形式」を好きになれ。「関心がない」とはプロの言葉ではない。 - **削り切った文章を見直す場面では**、〈必要〉と〈十分〉を分けて考えよ。絶対に必要ではない固有名詞が、その文章を「完成」させることがある。詳しい読者にだけ届くシグナルを、埋め込む。 ## 根拠となる事例・考え方 - 悪い例(自分語り):猟師に夢中で鴨や鹿の話をしはじめると止まらない、相手を置き去りにしてそれに気づいていない。話が「すべっていない」。もてない。 - 新聞社の「デスク」(若手記者の原稿を直す仕事)は、真剣に学ぶ気のある若手記者にだけ「固有名詞が多いよ」「数字を減らせ」と教える。新聞はデータがすべて、人名・地名・数字は記事の根幹だと教えられてきた記者はのけぞる。だが**発想が逆**なのだ。 - 悪文の実例:〈9人対9人で対決する人気クイズ番組の今夜は、ドラマ「アリバイ崩し承ります」に出演する勝村政信が主演の浜辺美波や安田顕らを率いて、くりぃむしちゅーの有田哲平のチームと対決する〉——一文に固有名詞六個。読んだ瞬間に頭が白くなる濃度。 - 「など」の犯罪的な例:〈一部しか書かれていない漢字に指定された読み方になるよう書き足す問題や、「私は子どもが好きな食べ物です」など、特定のモノなどを演じる「天の声」に質問を重ねて答えを推理する問題など、お茶の間でもワイワイ楽しめるものばかり。〉——一つの文章に「など」が三つ。ほとんど犯罪的。 - 小津安二郎はのんびりしたテンポと批評されがちだが、とんでもない誤解。『東京物語』『秋刀魚の味』の出だしを繰り返し観れば、**説明できないカットはひとつもない**。笠智衆や原節子ら主人公の社会階層、性別、人種、年収をワンカットで分からせる。 - コーエン兄弟『ビッグ・リボウスキ』は、ボブ・ディランのあまり知られていない「マン・イン・ミー」で始まり、なんの変哲もないボウリング場でレーンの上をカメラが横に走る。次々に球を投げる人々の性別・人種・体形・髪形・洋服に注意して観る。監督は偶然にこの人たちを投げさせているのではない。**だれのために、なんのためにこの映画を撮ったのかを、出だしのシーンだけで、ひとことの無駄なく語りきっている**。 - 〈必要〉と〈十分〉の実例:JASRAC関連の全国紙社会面記事。〈いつものようにガラすきの店に珍しく年配の紳士が1人で入ってきた。見慣れない顔だ。/新潟市西堀通のジャズ喫茶「スワン」。W子さん(55)が注文を取ると、「リクエスト、いいですか。『愚かなり我が心』」。/渋いなあ、マイ・フーリッシュ・ハートか。邦題で言う人、少ないんだよなあ。〉。曲名や原題、常連だった伝説の音楽評論家・間章の名は「絶対に必要」ではない。しかしそれがないとこの文章は「十分」ではない。**ジャズに詳しくない読者には摩擦係数を低く保ちつつ、詳しい読者には情感を増すに十分な情景を届ける**。ジャズ喫茶の成り立ち、たたずまい、客からの愛され方、そしてJASRACが雇った客を装う探偵のいやらしさまでを、シグナルとして語る。 ## キーワード - **すべる文章**:グライダーのように滑空する、読者にストレスを感じさせない文章。摩擦係数の低い文章。第1〜7発はすべて、摩擦係数を減らすテクニックである。 - **摩擦係数**:読み手に努力を強いる度合い。固有名詞・数詞・エクスキューズ語が増やす。 - **エクスキューズ語**:「など」「いろんな」「さまざま」。抗議をかわすための逃げであり、ライターの仕事の放棄。 - **〈必要〉と〈十分〉**:文章に絶対必要な情報だけでは完成しない。詳しい読者にだけ届く情報が、文章を十分にする。 - **メッセージ・イン・ア・ボトル**:文章を書くこと自体の比喩。「空き瓶に手紙を詰めて、海に流す。流れつく先は、分からない。しかし読まれなければ、とても書けはしない。文章の本質は、そこにある。磨き込むボウリングレーン。埋め込むシグナル」。