# はじめに(ちょっとうまく書けたら、と思う人へ/ハートを撃つための25発/本書の読み方)
**書籍**: 近藤康太郎『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』CCCメディアハウス
## 中心主張
生きるとは、文章を書くことである。企画書、宣伝文、論文、リポート、ブログ、SNS、メール、LINE——文章を書く機会はあらゆる場所にある。本書が目指すのは「あの人の文章は、ちょっといい」と言われるレベルであり、それをすぐ効くテクニックとして25発(=散弾銃の弾丸)に分けて発射する。文章を書くことは、考えることであり、すなわち生きることにほかならない。
## 実践指針
- **文章術を学ぶ場面では**、「文豪になる」ではなく「社内会議にかける企画書、社外へ出すリリース文、学生のリポートに必要にして十分過ぎるレベル」を目標に据えよ。目標を身の程に合わせるほど技術は身につく。
- **獲物(読者)を狙う場面では**、猟師と同じ手順を踏め。①読者のいる場所を探しあて、②五感を使って観察し、③すべるように近づき、④リズム感とスピード感をもって発射し、⑤射抜いて結論に導く。
- **本書を使う場面では**、第1〜20発(ホップ=基礎編/ステップ=応用編)を前から順に読め。25発は独立していてどこから読んでもいいが、順に読むことで「グルーヴ感」——書き手に波と風が乗る感覚——を実感できる。
- **自分の職業を規定する場面では**、業種を問わず「仕事とは、結局、表現だ」と捉えよ。商品も技術もサービスも、労働の本質は表現である。
## 根拠となる事例・考え方
- 著者は30年以上の新聞記者・評論家・作家。7年前に東京を捨て、大分県日田市の山奥で百姓・猟師をしながら執筆を続けている。移住前に「東京からの仕事の発注は激減する」と覚悟したが、逆に年々増えた。
- 猟の比喩:散弾銃の弾は25発入りのケースに入っており、初心者が鴨を一羽獲るのに25発かかる。文章を書くのはそれと同じくらい、いや、それ以上に難しい。
- 猟果も文章も「ほとんど放心するようなしろもの」。獲物を手で抱き上げたときの敬虔な気持ちと、自分の書いた文章に「読んだよ」という感想をもらったときの気持ちは同じ。**猟も、文章も、どちらも〈生〉に直結している。〈命〉に関わることだから**。
- 山奥の私塾(後述する「近藤塾」)で20年以上、プロの新聞記者・カメラマン・フリーライターを育ててきた。まったくの素人の学生3人がフリーライターになり、なかには売れっ子ライターになった人もいる。
- 巻末近くの第21〜25発は「ジャンプ」=展開編でプロ仕様。基礎編だけ読んで終えるのも「あり」。
## キーワード
- **25発**:本書の章立て単位。散弾銃の弾丸のたとえ。第1〜20発が実用編、第21〜25発が"隠し弾"のプロ仕様。
- **ホップ/ステップ/ジャンプ**:各発の内部構造。ホップ=基礎編、ステップ=応用編、ジャンプ(第21〜25発)=展開編。
- **グルーヴ感**:文章を書きだすと波が高まり風が吹く、作者がその波と風に乗っている状態。「創造の女神が現れた」「mojo がかかっている」。著者いわく本書は「わたしが書いたのではない。言葉によって、書かされた」。
- **ライター**:プロのライターおよびプロを目指す人、加えて「わたしみたいに書けたらいいなと思う人」まで含む。英語の writer は日本語の「作家」を意味する高い目標語として使われている。