# 口にできないこと 原題: What You Can't Say(Paul Graham, 2004年1月)/進捗 17%〜24% **中心主張**: どの時代にも、その時代の人々が信じているばかげた考えがあり、しかも当事者にはそれが見えない——道徳にも流行があり、流行は本質的に見えないものだからだ。だから重要なのは、現代の異端を暴くことそのものではなく、「どの時代でも使える、口にできないことを見つける一般的な方法」を身につけることである。そして見つけた異端は、口にするのではなく、考えるために使え。 **実践指針**: - 自分の思考が本当に自分のものか確かめたい場面では、順応性検査をせよ。「自分と同格の人が集まっているグループ内で、表明するのを憚るような意見を持っているか」。答えが No なら、あなたは言われたことをそのまま信じている可能性が高い。 - 現代のタブーを探す場面では、次の4つを組み合わせよ。①口にしたために災難に巻き込まれた人の主張に注目し「それは真実であり得るか」と問う ②「異端」「不適切」「対立主義的」といったレッテルを選び、そう呼ばれるアイディアを列挙して真偽を問う ③現代の常識と、過去の時代・他の文化の常識との diff を取る ④堅苦しく上品ぶった人の頭の中と、世界を見てきた人の頭の中を引き算する。 - 議論の相手が主張の真偽ではなく「対立主義的だ」「差別に配慮を欠いている」とレッテルで攻撃してきた場面では、注意を払え。レッテル貼りは、主張が虚偽ならそもそも不要なもので、虚偽でないことの兆候である。 - 口にできないことを発見した場面では、それを口にするな。あるいは少なくとも戦いを選んでスタンスを決めよ。「考えたいことを考えられる」ことが最重要で、「言いたいことを言える」ことではない。全部言わなくちゃならないと思っていると、不適切な考えを抱くことを却って邪魔する。 - 熱狂している集団に絡まれた場面では、与するな。「賛成か反対か」と迫られたら「どちらでもない」あるいは「まだ決めていない」と答えよ(ラリー・サマーズの「私はリトマス試験は受けない」)。 - 反撃せざるを得ない場面では、議論の抽象度を一段上げよ。特定の異端に直接触れず、レッテル貼りという風潮そのものにメタレッテルを貼れ。あるいはユーモアを使え(アーサー・ミラーは『るつぼ』でセイラムの魔女裁判を描き、HUAC を直接名指しせずに葬った)。 - 信頼できる少数の友人を持て。アイディアは話すことでもっと多くのアイディアを生む。とんでもないアイディアを聞いても飛び上がらない人こそ、知り合って面白い人だ。 - 自分が怒っているとき・レッテルを使ったときは、群集だけでなく自分自身の考えも距離を置いて注意深く見よ。「子供が疲れているから怒っている」のを大人が一歩下がって見られるのと同じことを、道徳の流行についてやれ。 **根拠となる事例・考え方**: - 昔の自分の写真を見て服装に恥ずかしさを覚えるのと同じことが、道徳についても起きている。流行は本質的に見えなくなるもので、地球の動きがその上に載っている我々に見えないのと同じ。 - 地図会社はわざと小さな間違いを製品に入れておき、コピーを検出する。同様に、あなたの信念が「現代において良いとされているもの」と全部一致するなら、それはコピーの証拠である。 - 「敗北主義者」は1917年のドイツでは武器だった。ルーデンドルフはこの言葉で和平案の支持者を一掃し、第二次大戦初期にはチャーチル支持者が反対者を黙らせるのに使った。1940年にはチャーチルの攻撃的な政策への反対はすべて「敗北主義」とされ、それが正しいか間違っているかを問う者はいなかった。 - 「不適切な」は左派から、「対立主義的」は右派から出た最近のレッテル。 - 1989年の研究: 放射線科医が胸のレントゲンから肺癌の兆候を探すときの眼の動きを調べたところ、癌を見逃した時でさえ眼はその箇所に少し留まっていた。医師の頭のどこかは何かがあると認識している。異端的な考えも我々の意識の中でほとんど形になりかけていて、自己検閲を一時的に切ればすぐ浮かび上がってくる。 - タブー以上のタブーは、ほぼ普遍的なタブー(例: 殺人)だけ。大部分の時間と場所で無害とされていた考えが今ここでタブーなら、それは我々がどこかで間違っていることの有力な候補になる。 - 1990年代初め、ハーバードでは「同僚や学生の服装を褒めることは不適切」というパンフレットが配られた。人の服装を褒めることが礼儀正しいと考えられている文化の方が多いだろうから、これは未来からの旅行者が1992年のケンブリッジを訪ねる場合に避けるべきタブーの穏やかな例。 - タブーを作り出す集団は「弱さと権力の中間で危うく揺れている」。自信のある集団は自分を守るタブーを必要としない。集団はタブーを強制するに足る力を持ちつつ、それを必要とするほど弱い、という条件を満たす。 - ガリレイにとって皮肉だったのは、コペルニクスの考えを繰り返しただけで弾圧されたこと。コペルニクス自身は弾圧されず、大聖堂の参事会員として教皇に自著を献上さえした。ガリレイの時代の教会は反宗教改革の苦闘の最中で、非伝統的な考えに強く憂慮していた。 - 多くの紛争は、本来は何についてであったにせよ、競合する思想間の争いへと変容してゆく。イギリスの宗教改革は底では富と権力を求める闘いだったが、「英国人の魂を守るための闘い」に変容した。人々を争わせるには思想のためにしたほうが簡単だから。 - 異端が利益をもたらすのは科学だけではない。競争的な領域なら、他の人が見る勇気を持たないところを見ることで大きく勝てる。米国の自動車産業がマーケットシェアの減少に苦しんでいた理由は外側から見れば明白で「品質が悪い」の一言だったが、誰も敢えて口にしなかった。 - 「考えもできないようなことを考える」効用はストレッチ運動に似ている。常軌を逸したことを考えられるようになっていれば、常識の箱のほんの外側を散歩するくらいわけもない。そして人はそれを革新的だと言う。 - ヘンリー・ウートン卿がミルトンに与えた助言 "i pensieri stretti & il viso sciolto"(閉じた考えと開いた顔)。皆に微笑みかけ、しかし何を考えているかは口にしない。 - 寛容な社会の例としてのオランダ: 何世紀にもわたって低地諸国は「他の国では言えないようなことを言うために向かう場所」であり、そのおかげで学問と工業の中心となった。デカルトも多くの思索をオランダで行った。ただし著者は、オランダ人自身も日常生活では規則と規制に浸かっているのではないか、と疑う。 - 心の広さは自己申告できない。「心が狭いことを自認する人などいない」。数学ができない時は自分でわかる(テストの答えが間違っているから)が、心の広さについては自分ではわからない。 - 子供向け・従業員向けの Web フィルタは通常「ポルノや暴力、憎悪を煽る言説」を遮断する。何がポルノや暴力とみなされ、何が憎悪を煽るとされるのか——「まるで『1984年』の世界から抜け出してきたような言葉」。 **キーワード**: - **順応性検査(Conformist Test)**: 同格の集団内で、表明するのを憚る意見を持っているか。持っていないことは知性ではなく順応の証拠。 - **異端(heresy)**: 真偽の議論に登る前に主張を撃ち落とすためのレッテル。歴史的には「不敬」「冒涜」、少し前は「不作法」「不道徳」「アメリカ的でない」。 - **メタレッテル貼り**: 議論を避けるためのレッテル貼りそのものにレッテルを貼る反撃法。「政治的に正しい (politically correct)」という用語の普及が実例。 - **pensieri stretti / viso sciolto**: 「閉じた考え」と「開いた顔」。前者は必須、後者はそこまで大事ではないというのが著者の判断。最良の選択は熱狂している人々には与しないこと。 - **モラルの流行(道徳の流行)**: 服装の流行と同じ機構で生まれ広まるが、逆らうと嫌われ・村八分・投獄・殺されることさえある点で危険。 - **問い続けること**: 水の中にいながら波を見る唯一の防御。「口にできないことは何だ。そして何故だ」。